深夜特急に憧れた記憶

2002年頃に旅行してた記録です

いきなりの空港一泊

初めて外国に行く飛行機のチケットが成田から、ベトナムホーチミンにいくのに、なぜかマレーシアのクアラルンプール経由。

さらーに言うと、クアラルンプールで10時間くらい、飛行機を待つ時間があったのです。

 

夕方くらいに成田を出て、深夜にクアラルンプールに付き、次の日の早朝の飛行機でベトナムです。

相談の結果、町中には出ないことにしました。

 

夕方なので、そこに間に合うように電車で待ち合わせ、成田空港ヘ向かいました。

預け入れ荷物に荷物を預けましたが、無知な私は、預け入れ荷物の中にパスポートを入れっぱなしにするところでした。

係員の人の確認でうわっとなって、パスポートを取り出した記憶があります。

 

初めての出国検査を終え、「俺はもう日本にはいない」的な、今思うとはずかしいセリフを友達と話していました。

何もすることなんてありませんが、記念撮影をしたりするうちに、たちまち出発時間。

 

飛行機に乗ると、マレーシア航空だったので、スチュワーデスがマレーシア人の方で、民族衣装っぽいのを着ていて、ああ、外国やん、もう、とちょっと思いました。

飛行機は、成田から8時間くらいだったと思います。

色々友達と喋ったりしていましたが、最終的には飽きてしりとり、という伝統的遊びをしていたのを覚えています。

 

マレーシア着きました。でも完全なトランジットという道を選んだので、パスポートのチェックは行われません。空港で軽い休憩ポイントを探しました。

椅子があって、人が少なめなところ。

そこで5,6時間過ごすことになるのです。重要です。

軽く野宿っぽい感じになるのですが、なにしろ、初めての外国です。

めっちゃテンション上がってます。

寝るどころの騒ぎじゃあありません。

荷物をおいて、休憩もしましたけど、歩いていろんなところに行きました。

空港なので流石に深夜でも空いている店はあるのです。

店どころか、トイレですら物珍しく、めっちゃ見まくった記憶があります。

 

マレーシアの国境はイスラム教でイスラム教の方が多いのですが、女性はスカーフで頭を覆っています。

あー、本当に外国に来たんだなあ、とベタに思いました

周りに日本人も、日本語もほとんどありません。

 

 

しっかし深夜、疲れてきますよね。大学生でも。

腹減るんですよ。大学生だから。

機内で飯は出たとはいえ。若いっていいですね。

はい。友達はちょい寝てます。

お買い物チャレーンジ!自然と両替チャレーンジが発生。

 

両替所は発見していました。

そこまで歩いて行きます。

っが!!なんて話しかければいいんだろうか?

両替所の前を、2,3回ウロウロして、英作文をしていました。

1000円札を握りしめ、うおおおおお!と気合入れて両替所の前に着きました。

「・・・シアりんぎっと?」

え、なんか言ってる、おいおい、なになに?

「マレーシアリンギット?」

おお、聞き取れました。マレーシアの金に両替でいいのか?と聞いているにちがいありません。

「イェス」

なんかの紙にシャカシャカサインして、両替完了

。。。。結果英作文は無駄でした。

そりゃそうです。お金持って両替所の前に立てば、やりたいことはひとつですよ。

言葉が話せなくても、話さなくてもわかりますよね。

 

こうして、少しばかりのお金を手にしました。

ここでも、見慣れぬお金を手にして思いました。

「外国に来たんだなあ」

思いまくっています。。。

 

いきなりの空港一泊

初めて外国に行く飛行機のチケットが成田から、ベトナムホーチミンにいくのに、なぜかマレーシアのクアラルンプール経由。

さらーに言うと、クアラルンプールで10時間くらい、飛行機を待つ時間があったのです。

 

夕方くらいに成田を出て、深夜にクアラルンプールに付き、次の日の早朝の飛行機でベトナムです。

相談の結果、町中には出ないことにしました。

 

夕方なので、そこに間に合うように電車で待ち合わせ、成田空港ヘ向かいました。

預け入れ荷物に荷物を預けましたが、無知な私は、預け入れ荷物の中にパスポートを入れっぱなしにするところでした。

係員の人の確認でうわっとなって、パスポートを取り出した記憶があります。

 

初めての出国検査を終え、「俺はもう日本にはいない」的な、今思うとはずかしいセリフを友達と話していました。

何もすることなんてありませんが、記念撮影をしたりするうちに、たちまち出発時間。

 

飛行機に乗ると、マレーシア航空だったので、スチュワーデスがマレーシア人の方で、民族衣装っぽいのを着ていて、ああ、外国やん、もう、とちょっと思いました。

飛行機は、成田から8時間くらいだったと思います。

色々友達と喋ったりしていましたが、最終的には飽きてしりとり、という伝統的遊びをしていたのを覚えています。

 

マレーシア着きました。でも完全なトランジットという道を選んだので、パスポートのチェックは行われません。空港で軽い休憩ポイントを探しました。

椅子があって、人が少なめなところ。

そこで5,6時間過ごすことになるのです。重要です。

軽く野宿っぽい感じになるのですが、なにしろ、初めての外国です。

めっちゃテンション上がってます。

寝るどころの騒ぎじゃあありません。

荷物をおいて、休憩もしましたけど、歩いていろんなところに行きました。

空港なので流石に深夜でも空いている店はあるのです。

店どころか、トイレですら物珍しく、めっちゃ見まくった記憶があります。

 

マレーシアの国境はイスラム教でイスラム教の方が多いのですが、女性はスカーフで頭を覆っています。

あー、本当に外国に来たんだなあ、とベタに思いました

周りに日本人も、日本語もほとんどありません。

 

 

しっかし深夜、疲れてきますよね。大学生でも。

腹減るんですよ。大学生だから。

機内で飯は出たとはいえ。若いっていいですね。

はい。友達はちょい寝てます。

お買い物チャレーンジ!自然と両替チャレーンジが発生。

 

両替所は発見していました。

そこまで歩いて行きます。

っが!!なんて話しかければいいんだろうか?

両替所の前を、2,3回ウロウロして、英作文をしていました。

1000円札を握りしめ、うおおおおお!と気合入れて両替所の前に着きました。

「・・・シアりんぎっと?」

え、なんか言ってる、おいおい、なになに?

「マレーシアリンギット?」

おお、聞き取れました。マレーシアの金に両替でいいのか?と聞いているにちがいありません。

「イェス」

なんかの紙にシャカシャカサインして、両替完了

。。。。結果英作文は無駄でした。

そりゃそうです。お金持って両替所の前に立てば、やりたいことはひとつですよ。

言葉が話せなくても、話さなくてもわかりますよね。

 

こうして、少しばかりのお金を手にしました。

ここでも、見慣れぬお金を手にして思いました。

「外国に来たんだなあ」

思いまくっています。。。

 

いきなりの空港一泊

初めて外国に行く飛行機のチケットが成田から、ベトナムホーチミンにいくのに、なぜかマレーシアのクアラルンプール経由。

さらーに言うと、クアラルンプールで10時間くらい、飛行機を待つ時間があったのです。

 

夕方くらいに成田を出て、深夜にクアラルンプールに付き、次の日の早朝の飛行機でベトナムです。

相談の結果、町中には出ないことにしました。

 

夕方なので、そこに間に合うように電車で待ち合わせ、成田空港ヘ向かいました。

預け入れ荷物に荷物を預けましたが、無知な私は、預け入れ荷物の中にパスポートを入れっぱなしにするところでした。

係員の人の確認でうわっとなって、パスポートを取り出した記憶があります。

 

初めての出国検査を終え、「俺はもう日本にはいない」的な、今思うとはずかしいセリフを友達と話していました。

何もすることなんてありませんが、記念撮影をしたりするうちに、たちまち出発時間。

 

飛行機に乗ると、マレーシア航空だったので、スチュワーデスがマレーシア人の方で、民族衣装っぽいのを着ていて、ああ、外国やん、もう、とちょっと思いました。

飛行機は、成田から8時間くらいだったと思います。

色々友達と喋ったりしていましたが、最終的には飽きてしりとり、という伝統的遊びをしていたのを覚えています。

 

マレーシア着きました。でも完全なトランジットという道を選んだので、パスポートのチェックは行われません。空港で軽い休憩ポイントを探しました。

椅子があって、人が少なめなところ。

そこで5,6時間過ごすことになるのです。重要です。

軽く野宿っぽい感じになるのですが、なにしろ、初めての外国です。

めっちゃテンション上がってます。

寝るどころの騒ぎじゃあありません。

荷物をおいて、休憩もしましたけど、歩いていろんなところに行きました。

空港なので流石に深夜でも空いている店はあるのです。

店どころか、トイレですら物珍しく、めっちゃ見まくった記憶があります。

 

マレーシアの国境はイスラム教でイスラム教の方が多いのですが、女性はスカーフで頭を覆っています。

あー、本当に外国に来たんだなあ、とベタに思いました

周りに日本人も、日本語もほとんどありません。

 

 

しっかし深夜、疲れてきますよね。大学生でも。

腹減るんですよ。大学生だから。

機内で飯は出たとはいえ。若いっていいですね。

はい。友達はちょい寝てます。

お買い物チャレーンジ!自然と両替チャレーンジが発生。

 

両替所は発見していました。

そこまで歩いて行きます。

っが!!なんて話しかければいいんだろうか?

両替所の前を、2,3回ウロウロして、英作文をしていました。

1000円札を握りしめ、うおおおおお!と気合入れて両替所の前に着きました。

「・・・シアりんぎっと?」

え、なんか言ってる、おいおい、なになに?

「マレーシアリンギット?」

おお、聞き取れました。マレーシアの金に両替でいいのか?と聞いているにちがいありません。

「イェス」

なんかの紙にシャカシャカサインして、両替完了

。。。。結果英作文は無駄でした。

そりゃそうです。お金持って両替所の前に立てば、やりたいことはひとつですよ。

言葉が話せなくても、話さなくてもわかりますよね。

 

こうして、少しばかりのお金を手にしました。

ここでも、見慣れぬお金を手にして思いました。

「外国に来たんだなあ」

思いまくっています。。。

 

意表ついたマレーシア

初めての外国は、ベトナムになるはずでしたが、なぜかマレーシアでした。

ベトナムに行くことになった私は、友達にチケットの手配等を進めてもらいました。

当時はネットもそんなに普及していなかった時代でABRoadという雑誌!でチケットを差がいたようです。

雑誌ですよ!すごい時代でしょ。

300円くらいだと思いますけど、お金を払ってチケット探してたんですよ。2000年って。

 

で、変なチケットを探してきました。安いんですけど。

マレーシア航空で行く、ホーチミンシティ。

クアラルンプール経由のホーチミンです。

一回、遠くまで行くんです。

マレーシアまで行って、そっからベトナムまで戻ってくる。

東京から福岡に行って、そっから京都行く、みたいな感じです。

いくらだったのか正確には忘れましたが、7,8万円だったと思います。

ちょっと苦労しますけど、大学生にとって「安さ」はかなり重要な要素です。

なあんにも文句はありません。

その後の人生で飛行機が嫌いになり、怖くなるんですけど、その頃の私は特に飛行機が怖い、なんてこともなかったですので、素直に同意し、金を払いました。

 

旅行会社から紙のチケットバウチャーが送られてきました。

今となっては、信じられない話ですが、その当時は、紙のチケットみたいなものがあったんです。

自分の名前や、便名が印刷された紙です。それが存在したんです。

 

ビザも必要でしたが、作っておいたパスポートを送ると、旅行代理店で作ってくれました。

郵送でパウポートを送っていた気がします。

今考えると、怖くてちょっとできないですけど、その当時は素直にパスポートを郵送で送っていました。

 

いろいろ、ベトナムの気候や、両替の仕方などを調べました。

トラベラーズチェックというものを作ると何かと便利なようです。

郵便局だか、銀行だか忘れましたが、5万円から買うことができました。

5万円をトラベラーズチェクにしました。

いざというときはやっぱり米ドル、というのも本で読み、50ドルを両替しました。

初めて手にする外国のお金は、やっぱり日本円じゃないと人生ゲームのお金みたいに、お金という実感を感じませんでした。

 

ベトナムの気候や服装も調べました。

3月のベトナムは、1年で一番暑い時期に当たるようで、日本の夏を想像していけば間違いないようです。

 

持っていった荷物は、半袖、ハーフパンツに、下着2,3枚。あとはカメラだとか、ガイドブック。

旅日記も書こうと思って、ノートとペンも準備しました。

バッグは結果的にいっつも大学に行くときに使っていくリュックになりました。

あまり準備を一生懸命やっていると思われるのが恥ずかしかったのが半分、

友達が色々やってくれるので、なんとかなるだろうと思えたのが半分、という感じです。

服も、気合入れたと思われたくないから、いつも来ているジャージなんかを、持っていってました。

 

そんなこんなで、初海外の日を迎えます。

初めての海外旅行 きっかけ

何から書いていこうかなってことで、迷うところもあるんですが、最初の海外旅行から書いていきます。

 

それはめでたくミレニアムを迎えた2000年です。

ミレニアムっていうのも、もう全然聞かない表現ですよね。

 

ま、2000年の3月、これが私が初めて外国に行った日です。

何日か、までは忘れちゃいましたけど、10日くらいだった気がします。

 

その頃、大学生だったんですけど、年末くらいだったのかなあ。なんか友達に誘われました。春休み暇?海外旅行行かない?みたいな。

ま、その頃は海外旅行なんて言ったことなかったし、周りにも海外なんて全然身近じゃなかったですよ。

でもまあ、なーんとなく、経験したことないし、経験してみたい、っていう気持ちがあって、すぐにOKの返事をしました。

行き先も聞かずに。

なんかよくわからないけど、ハワイに行くつもりになってました。

たぶん、自分の中で海外旅行=ハワイという構図ができていたのだと思います。

私にとって”海外”、なんて、芸能人が正月に行くハワイ、そんなもんでした。

 

が、行くよ、と言った次の瞬間友達の口から出てきた言葉は、予想外の言葉でした。

「んじゃあ、ベトナム行こ」

「え?ベトナムってあの戦争の?ベトちゃんドクちゃんの?」

「うん」

「なんで???」

「なんとなく!!わっはっは」

「わっはっはーーー!」

ってな感じの会話をしたのを覚えています。

 

その後、ベトナムってアジアン雑貨な感じで、ちょっと人気でましたけど2000年当時は、まだそこまでメジャーじゃなくて、私の認識の通り、ベトナム戦争、位のイメージしかなかったんですよね。

正直、怖かったです。ハワイがベトナムに。。。。

戦争と、ベトちゃんドクちゃんのイメージしかないですし、言葉が通じないとか、そういう以前に、電気は通じているのか?とかそっちの方すら心配でした。

でもまあ、そのあたりは友達もサポートしてくれる模様なので、おんぶに抱っこの気分で、くことにしました。

 

いまじゃあ、ビザもいりませんが、当時はビザも必要です。

でも当時、私にはパスポートとビザの区別もついていませんでした。

そうと決まれば、あとはお金だとか、パスポート、ビザの準備開始です。

と言っても、当時の私は、全てその友達任せです。

ほぼほぼ友達の言われるがまま、準備を勧めました。

 

まずはパスポートを取りに行くことにしました。

その当時、一応まだ未成年だったのですが、大学生で一人位をしていました。

多分、両親の承諾書類が必要なのかな?

そのへんもしっかり親に報告して進めましt。

パスポート申請のときに、「サイン」が必要なようです。

サインって何?俺、有名人じゃねーんだけど、サインって何?と思って調べると、何でもいいみたいです。普通の人は、無難に漢字です。ちょっと海外に触れている人は、英語で自分の名前を書いています。。海外生活の長い人なら、自分のサインがあると思います。

そこでちょっとひねくれた自分の性格が出ました。

2,3日迷った挙げ句、日本人なら、日本の文字だろ、と思ってそのサインを「ひらがな」にすることにしました。

きっと、オリジナリティがほしかったのだと思います。

パスポート申請のときに、規定の用紙に記入し、申し込み用紙を窓口に提出し、番号札を手に待っていると、職員の人から、番号でなく名前を呼ばれました。

あれ?番号じゃないの?

と思いながら窓口に行くと、職員の人から、

「サインがひらがななんですけど、これでいいんですか?」

「・・・いーんです!」

「あ、わかりました。。。」

川平慈英並に断言しました。

 

そっから20年、今でも私のパスポートのサインは、ひらがなです。

深夜特急に憧れて

2002年、日本は日韓ワールドカップで盛り上がり、目の前で繰り広げられる世界的スーパースターのプレーを日本で楽しんだ方もいっぱいいると思います。

その時、私はなぜか地球の裏側にいました。

 

大学生のときに出会った人の影響で、深夜特急という本を読みました。

沢木耕太郎さんという方が、1970年くらい?に世界を旅した旅行記みたいな本です。

そこは影響されやすい大学生、もー速攻で影響されましたね。

世界にはいろんな世界もあるし、その世界を見ることができるチャンスがあれば、見てみたいなって思い始めたらもう止まりませんでしたよ。

長い人生、1年くらいお休みして、こんな時間を取るのもこんなんもありかな、と思っちゃい始めちゃって。。。

数カ月後には行くぞーって決めちゃって、バイトしまくってお金ためて、1年後に大学休学して日本をビューンって飛び出しちゃいました。

その時のことを書いていきます